2008.09.08(Mon)
はじめに。
「今夜の記事は ちょっと長いぞ☆」
と言っておきます。 マンガ夜話に関してはさらっと触れるだけで
各インタビューごとに別記事立てして書くつもりだったのになぜこうなったのか…??
まず、9月4日から放送開始してる第55回「アニメ店長!子安・岩田のVOICEきゃらびぃ」聴きますた。
わざわざ記事にするのは、
今回のゲストがエド役の朴さん・アル役の釘宮さん・マスタング役の大川さんだから。
主に「鋼の錬金術師 BOX SET -ARCHIVES-」の宣伝の為。
の割りには、全体で43分4秒あるなかで、鋼の話になったのは半分過ぎた23分頃からです。
んで、期待してたアニメイト特典のドラマCDに関しては触れられず……
朴さんは「VOICEきゃらびぃ」のゲスト出演3回目という事で
パーソナリティの子安・岩田コンビからはゾンザイな扱いを受けてるようでいて
実は大川さんより発言が多かったと思いマスタング。
「鋼に関わる前はイベントの進行なんてとてもひとりじゃ…」なんておっしゃってた朴さんも
今やすっかり場慣れたカンジ。
是非とも『鋼の錬金術師』MIDNIGHT LOUNGEにも助太刀にいってあげて下さい。
大川さんと、藤原さんのコンビで間が持つんだろうかとはげしく心配(笑)
朴さんの「エドに持っていかれた3年間」と言うお話は、
もう何回かインタビュー記事なんかでみかけたような気がしますが
最近のものだと BSアニメ夜話vol8 にも載ってましたね。
マンガ夜話の方が放映は先だったのになんでムック化しないのかなぁ?
「ガラスの仮面」はムック化してるので未完の作品だからと言う理由ではないはず。
ポジティブに漫画版が完結した暁にはもう一回取り上げてくれるんだと期待しておこう。
話はアニメ夜話本に戻して公開録画に新幹線でたった1時間の広島くんだりまで、
なぜか1泊(がデフォの思考)で行ったよなぁと思い返しながら読んだワケですが、
TVでオンエアしたトークと、収録カットされた未公開部分を書体を変えて表記してくれててとっても親切!
会場でメモりながら、後から見たら単語の羅列で「なんのこっちゃ?」だった部分が
繋がって気分爽快ww (当時の レポ1 レポ2)
その他、番組に出演したゲスト佐藤藍子さん・森達也さん・會川さん・オタキングに
収録時に言い足りなかった事を改めて語ってもらうのとは別に
エド役の朴さんと、水島監督のスペシャルインタビューが追加されてました。
最後はニュータイプ編集部在籍の経歴を持ちアニハガの仕事にも若干かかわってらした
岡田尚子さんの『マンガ作品 アニメ化のツボ』
放送されたアニメ夜話自体、「原作が完結してないものをアニメ化する時にどうまとめるか」って話題があったのですが、
コレもその話についてで、「鋼」そのものより「アニメ夜話」本らしく締めくくられた本でした。
うん、1stアニハガはきっと、アニメ史上に残る「公式二次創作」だったと思うよ(笑)
2ndアニハガが「蟲師」や「おおきく振りかぶって」の如く原作の再現性を追求する方向で
制作されるなんて期待してませんが、何か?
岡田尚子さんの記事ではなくブログの方からの引用になりますが、
>原作つきアニメのツボとは、視聴者を裏切らないと言うことにつきます。
>そのためには原作をよく研究して、最低限、「なにを描かなくてはならないか」の軸だけは
>ぶれないようにしていただきたい。
>特に女性向け作品の萌えは、制作者側がわざわざ画策しなくても
>(男性向けのように、意味もなく水着シーンや温泉シーンを用意してくれなくても)、
>キャラクターの関係さえ原作どおりに描いてもらえれば、
>自然についてくるものだと思っています。
そう! これなのよ!!
44話「名前のない墓」で眠る安らぎを得る事も泣く事もできない体の鎧アルが
「もう…… 一人の夜はいやだよ……!!」
と、月明りを借りて泣きながら心情を吐露する場面。
表面どおり読んで素で感動しながらも、
読む人が読めば、「牛さまったら、あざとい!! (>▽<) きゃーーーッ」なんですよ。
コレで十分なの!!(笑)
軸だけ、ブレさせなければ、原作どおりする必要もない。
かといって、余計なサービスシーンはいらないんです。
水島&會川版の鋼は「少年の成長物語」と銘打って「兄弟愛」を殊更強く書かれてるように
言われてるけど(特に劇場版ww) 私はソレは違うと言いたい。
「家族・兄弟愛」な部分の表現って
>男性向けのように、意味もなく水着シーンや温泉シーン
に相当するくらい、実はけっこう、あからさまなサービスシーン的描き方だったと思うのよね。
スカーの死に際のラストとの会話しかり、
アルの「兄さんはぼくを愛してくれてる」発言しかり。
賢者の石の材料を知って使用を躊躇いながら、結局、最後はその葛藤の答えはどこへやら、
切羽詰まってロミオとジュリエット的、後追い相互人体錬成ですもの。
おまけにアルは記憶をなくして振り出しに戻る。
求める対象が母から兄にスライドしただけ。
何 処 が 少 年 の 成 長 だ っ た の で せ う か 會 川 さ ん !! と思ってました。
じゃぁ、「家族・兄弟愛」の面からみると描きかたがゾンザイだった水島&會川版鋼が
「鋼の錬金術師」として失敗だったかと言うと、やっぱり「鋼の錬金術師」なんですよ。
ただ、「なにを描かなくてはならないか」の「軸」を別に置いただけ。
そもそも、兄が弟を命がけで錬成しようとする冒頭の時点で「兄弟愛MAX」なんだから
軸を置くようなもんじゃないって判断は正しい気もする。
ユイリカの荒川・藤本インタビューで、
藤本さんが「少女マンガ・女性論」的な自分のフィールドに話をもって行こうとして
牛さまにあっさりかわされたり、
アニメ夜話で、森さんが自分の分野(?)の「憲法九条」云々持ち出したのに
オンエアではカットされてたりするのを見るにつけ、
(戦争・核の話は夏にわざわざ広島で公録だったので話題にでるかなとは思ってたけど)
物書きってのは自分扱ってる題材に素材をあてはめようとするんだなぁとつくづく思ったわけですが
會川さんも例にもれなかったんじゃないでしょうか。
実際、會川さん自身、本文124頁で
>一人一人の作家や関係者が、自分がやりたいなにか……を持っていて(中略)
>この原作を使えば自分たちがやろうとしているものが成立するかもしれない
>そういうことで原作物を作るんです。
とおっしゃってるわけで
それで、「やりたい事=物語の軸」はなんだったのかと言うと
後付けだろうと、やっぱり「さよなら」の回のエドとマスタングとの車中での会話なんだろうなと。
あれだけ、スカーやアルやエドに、「兄を、弟を、愛してる」と直截に言わせておきながら
水島&會川さんが
>セリフでテーマを語るのは「下の下」 (わかります、宮崎息子版ゲト戦の事ですね)
と思いながらも
>それでも本当に一番大事なことは言葉にしないと伝わらない時がある(中略)
>だから「書こうよ」と。「本当に一番大事なことは書こうよ」
と言わしめて書いた場面だから。
で、正直、申し訳ないけど、
會川さんが「世界と戦争と自分と幸福追求」的な事の自論を展開したんだろうとは思ってたんだけど
私、この本の記事読むまで會川さんの真意まで伝わっちょりませんでした(爆)
えーと、一番伝えたいお子様には伝わってたのでしょうか?
車中での場面の會川さんの真意(127~128頁)は要約すると
平和を得る為には軍隊や戦争そのものはやっぱり仕方が無い(何かを得る為には犠牲が必要)
と、ある種、罪を覚悟して綺麗事はいわないと言うようなスタンツで軍の狗にもなったエド(をカッコイイと思って視聴してる子供)に対して
子供には綺麗事を信じていて欲しいし、
「戦争や犠牲や悪事は必要悪として仕方がない」で諦めるんじゃなくて、
おかしいことはおかしいと憤りを持てる子供の価値観に戻る事で、
成長させたって事らしいです。 増田にまでそれを付き合わせるのはどうなんかなぁ……
そのメッセージが伝わったかはともかく
「憤りを持てる子供の価値観」これが根幹だと言うならば、
それはまぎれもなく荒川先生が本来のガンガン読者層である少年・少女に伝えたい
荒川鋼の精神を受け継いで派生した「鋼の錬金術師」なのでしょう。
水島&會川版鋼の主題がコレだと考えれば、
序盤のオリジナルストーリー「愛の錬成」「怪盗サイレーン」は
>その気がなくても悪い事をしてしまう事がある (マジハールの事故死)
>悪いことでもやらなきゃいけない時がる (サイレーンの街復興)
まさに上げて、落とす為に必要だったと位置づけがようやく腑に落ちた気分です。
ただ、私的には それらを、
「憎しみの連鎖は絶っても、理不尽は許さない」 「やらない善より、やる偽善」
と言う風に描いた荒川鋼の方が素敵だなと思うわけですがwwwえへww
等価交換(得るものと犠牲)の法則を崩すのに安易に親・子・家族の無償の愛とかを持ち出さないのが
荒川センセや會川さんだよなぁとも思ってしまいますが
無償の愛って結局、「貴方の幸せ=私の幸せ」で、ある種の等価交換の気がしますしね。
多分、荒川センセも「一は全 全は一」に象徴するが如く
個人→家族→仲間→世界と言う風に子供のコミュニティの広がりと、
その中での立ち位置の自己肯定(自分でやれる事と、相互協力による自立)として
エド達の成長を描くのではないでしょうか。
願わくば、番外編でいいので原作エドには新しく増えた家族の中に回帰して欲しいな。
うん、家族は別れるもんじゃなくて、分かれて増えてくもんだ。
(と独身パラサイトが行っても説得力ねぇなぁ……)
なんと言うか、原作完結が見えてきたこのタイミングでの再アニメ化や夜話本の発行。
劇場版上映で盛り上がってた頃の水島&會川さんの「オレ達はもう(鋼は)やらないけど…」
のコメントを思えば、
あの頃から含むトコロがあったんじゃないかと勘繰りたくなる始末です。
L5発症妄想すれば、「鋼2」の企画が数字的に現実味のある可能性が残ったが為に
「獣神演武」の企画はあんなに早い段階で始動する羽目になったような気すらしてきましたよ。
「ボンズがホントに鋼2やるみたいだから、
悪いけど鋼2が始まる頃には終るよう獣は前倒しで進めれないか~」みたいなww
ああ、うん、今月の「獣神演武」
紅英さん存命の時から含みを持たせてただけに
岱燈と頼羅のガチンコ対決はきちんとページを割いてくれててよかった。
でないと、紅英さんが浮かばれん。
なんか最近は牛様、鋼の息抜きに「獣神演武」描いてるような気もしなくはないけど…(fromユイリカ)
「うおおおおおぉぉぉッ!! 見開き大コマで馬かきてえぇぇぇ!!」
「むさいオッサン描きてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「筋肉! 筋肉描くの!!!」
「アクション、バッスン! ドッスン描くのーー♪」
そげなカンジ。
初期の頃は「シナリオに口を挟む時間もなければ、
時間を割けずに全うにシナリオに向き合えない以上、
脚本家が指摘して欲しいと言えどその立場にもない。
だが、しかし、背景の民衆には 描き手として一分の魂を込めさせてもらう ビシ!!」
って気がしたんだけどねぇ。 ひょっとして、
「今回はトーンとベタ比率・この話はコマ割追求・次号はキャラの表情・その次は背景追求とか
話ゴトに実験お題を変えてるんではあるまいか。
>一人一人の作家や関係者が、自分がやりたいなにか……を持っていて(中略)
>この原作を使えば自分たちがやろうとしているものが成立するかもしれない
某さん達の「自分がやりたいなにか」は何となくわかるよね。
牛様が作画を引き受けた「自分がやりたいなにか」ってなんだったんだろうな……
むしろ逆で引き受けた以上は「なにか」を自分のプラスにしようとした気もしないではないけど
ああ、きっとアレだ、牛様はおにゃのこのチチとふともも、ぷっちんプリン具合を手に入れたんだ。
その成果がウィンリィの入浴シーンとノーブラ下チチなんだなきっと。
もう、ホント、鋼、再アニメ化に際しての 「自分がやりたいなにか」 は
鋼以降、驚異的ヒット作に辿り着けない、ボンズやスクエニの再生の為の再構築だけに
ならないことを祈るばかりです。
ちゃんと作品を愛を持って、理解・分解・再構築してくださいね!
つか、真摯に↑コレやってくんないと、いくら前作の基盤があったとしても
驚異的ヒット作には辿り着けないとおもうけどね。